新築もリフォームも新たにつくる家族のくらし そして夢だと思う

昭和39年(1964年)より
父親の代から昭和町で工務店を営んでまいりました。
木造住宅にこだわり、木の良さが伝わる家づくりを目標に一丸となって全力で取り組んでおります。
ぜひ私たちの「新しい価値」に一度耳を傾けてください。
一級建築士 資金計画アドバイザー
(徳島県知事許可(般-20)第700012号)

- 現場の中心でがんばってくれるのは、実は職人さんたちです。
家を建てる時なら「ながいお付き合い」に
リフォームの時なら「身近なお付き合い」になります。
特にリフォームの時は直接職人さんと話すこともあると思いますが
その時にきちんと話を聞いてくれる職人さんなら安心!
なぜなら、その人は「仕事がきちんとできる職人」だから・・・・
- 私のように、ながくこの仕事をしていると
現場の大切さが良くわかります。
それは新築もリフォームもおなじです。
リフォームの時はすでにあるものに手をくわえていくのですから
「思いがけないこと」も発生します。その時どう対処するのか?
正に私たちのチームワークがためされるときなのかもしれません。
- 家というものは、あなたにとってのオーダーメイドであることが基本です。
だから、家を造るのも、リフォームするのも
家のことを熟知しているパートナーが必要になります。
私たちは、そんなお客様の良きパートナーでありたいとがんばっています。
- 家をたてることはもちろん、リフォームだって決して少なくないお金が必要です。
お金が動くということは、
大なり小なり「生活」にかかわってくることになります。
だから「しっかりした見積書」をおだしすることは
私たちの「義務」だと考えています。
ここが広田工務店です

事務所と倉庫。
倉庫には常時使う材料をストック。
乾燥した状態で現場に送られます

倉庫の裏に加工場もあります。
ベテランがすばやく加工し現場に
送られます。

工務店の事務所は、お客様の夢を
目で確認できるような
作業に使われるべき
大切なスペースです。

広田工務店へのアクセス
〒770-0942
徳島県徳島市昭和町7丁目27番地
TEL:088-653-2239

広田工務店と私の考え

広田工務店は、1965年私の父が大工の棟梁として独立したのが出発です。
私が5歳の頃です。(私は1960年生まれです)
職人気質丸出し(チョッと下品な表現)で一棟一棟
仕上げていく様を幼いころから見てきました。
そして・・・よく手伝わされました。
その間私は昭和小学校から富田中学校と
平々凡々と進み徳島県立東工業高校に進学
その頃は工業デザインに憧れ東京進出?
を夢見ていました。
(17歳くらいが陥る甘い夢ですね~)
夢破れ?西日本工業大学建築科に進学
厳しい親元を離れて
悠々自適・・・それがすぎて5年で卒業。
罰金のように「他人の飯」を食うために建築会社へ
会社勤め4年
その間に学んだこと
めぐり会えた人
今振り返ると感謝感激の4年間でした。
モチロン
その間も一人金槌をふりノコギリを引いた父親にも感謝
そして
1989年広田工務店へ帰ってきました。
当初は、父親に出来ないことを
棟梁から工務店への脱却をと頑張り
平成6年 一級建築士事務所を開設し
ここではじめて「満足」出来ない状況に直面
いったい何で?
と考えたときに(小膝たたいて)
カエルの子はカエル、大工の子は大工(心は)
形にばかりこだわっていた自分と初めて対峙
まず
「自分が建てたい家」を形にすることが大切だとの結論に到達
ならば
「広田工務店 の標準仕様」をつくるぞ!と考えに考え
(当時は当店のような小さな地場工務店が
仕様を決めることに反対の声もありましたが
平成15年にやっと
「建てる家」が「建てたい家」とイコールになりました。
その間、「木」にこだわる自分を発見
親子の血を認識したことも事実です。
そして
地場工務店にしか出来ない家造りとよく宣伝等でいわれていますが
地場工務店にしかできない家づくりとは何か?
私の結論は
その会社の家づくりの理念を、経営者又は棟梁と直接話ができる
ということだと思います。
豆腐は国産大豆を使った○○がいい
大根は△△さんが作った大根がいい
などなど、日常の買い物でも気をつかっているのなら
もっともっと大きな買物である家を
営業マンと話をしただけで本当に安心できるのでしょうか
だから広田工務店は の言葉を
お施主様と共有したいと考えています。